🌿 なぜ、私が海外教育を選んだのか
|すべては、一人の母としての原体験から始まりました|
💠 息子の障害と向き合った日々
長男が先天性の口唇口蓋裂を伴って生まれてきました。
構音障害があったことで、私は「言葉」そのものと、深く向き合わざるを得ませんでした。
生後4ヶ月から10歳になるまでに、7回の手術を経験。
そのたびに承諾書にサインをし、手術日を待つ不安のなかで、幼い息子に説明と説得を繰り返しました。
💠 医療現場で感じた“ギャップ”
医師とのやり取りを通じて、医療側の専門的視点と、親としての気持ちとの間にギャップを感じることも多くありました。
入院中には、さまざまな障害を持つ子どもたちとその家族と出会い、
障害のあり方の多様性や、社会の受け止め方の違いにも直面しました。
💠 社会の沈黙と「言い返せない構造」への違和感
ある日、同じ病気を持つファミリーの会合に参加したときのこと。
「自分の子が滑り台を滑ったあと、他の親が“あの子の病気がうつるから、その滑り台は滑るな”と、自分の子どもに言っているのを聞いた」と憤りながら話すお母様の姿。
でも、その公園では誰も何も言い返さなかった。
そのお母様ご自身も、ただ涙を流し、静かにその場をやり過ごすしかなかったのです。
私は、その光景に強い違和感を覚えました。
卑劣な言葉を投げつけた人への怒りよりも、それに対して誰も「おかしい」と口にできない空気。
そして何よりも、“論理的に反論する手段も言葉も持たず、引き下がるしかない”という現実が悔しすぎて、胸が締めつけられました。
欧米だったら違ったかもしれません。
誰かがはっきりと「それは間違っている」と言葉にしていたかも。
私は、日本という社会で、障害のある子やその家族の声が、あまりに届きにくいことに、深い閉塞感を感じたのです。
🌱 気づき
|このままでは、何も変わらない。だから、私は「語る力」が必要だと思った |
差別を受けたそのお母様が、涙を流すしかなかったあの日。
私もまた、胸の内に怒りと悔しさを抱えながら、言葉を飲み込む日々を送っていました。
けれど、あの経験を境に私は気づきました。
「この社会では、“声が届く人”と“届かない人”が、はっきりと分かれてしまっている」
「そして、障害がある子やその家族は、たいてい“届かない側”に置かれてしまっている」
それは、制度の問題だけではありません。
「きちんと伝える手段がない」「伝える準備ができていない」
そういった“語る力”の不足が、親にも子にも、大きな壁になっているのだと気づいたのです。
私は、母としてこう思いました。
「もし私が“冷静に、正しく伝える言葉”を持っていたら、
息子を守ることができたかもしれない」
それは、「強くなる」ことではなく、
“静かに、でも堂々と自分の考えを言えるようになること”。
そしてそれが、障害や違いを持つすべての子どもに必要な力でもあると。
🔁 幼少期の記憶が、重なった
このとき私の中で、もうひとつの記憶が蘇ってきました。
それは、私自身が幼い頃にアメリカに留学していた経験です。
当時の私は、言いたいことをはっきり伝えていい環境のなかで育ちました。
でも帰国後、6歳で日本の学校に入ったときに、「言いたいことが伝わらない」「空気を読むことが優先される」教育文化に、強い違和感を覚えたのです。
“伝えたいのに、伝わらない”
そのもどかしさを、私は自分自身の幼少期にも経験していました。
だからこそ、
滑り台の件で、あの母親が声を出せなかったとき、
誰もその場で「それは違う」と言えなかったとき、
私の中で、あの頃とまったく同じ“言葉の不自由さ”が蘇ったのです。
🌍 海外教育への視点が、生まれた瞬間
「このままでは、この子も“伝える手段を持たないまま”育ってしまうかもしれない」
「私があのとき感じた不自由さを、息子に味わわせたくない」
この気づきが、やがて私を“海外教育”という新しい選択へと導いていくことになります。
🌍 転機
|息子を守るために、私は「海外教育」という選択肢に踏み出した |
息子の未来を考えたとき、私の中にあった問いはこうでした。
「このまま日本の環境の中で、
息子は“自分のことを言葉で伝えられないまま”成長してしまうのではないか?」
その問いに向き合えば向き合うほど、
日本の学校教育や社会の仕組みでは、
「自分の気持ちを論理的に伝える力」や
「違いを持つ人へのまなざし」は、まだ十分に育まれにくいと感じていました。
🧭 なぜ“海外教育”だったのか
私が思い出したのは、幼少期にアメリカで過ごした自分自身の記憶でした。
そこでは、意見を持つこと、表現すること、対話することが、当たり前のように大切にされていました。
帰国後、日本の学校に入ったときに感じたのは、
「空気を読む」「意見を言わないことが礼儀とされる」風潮への違和感でした。
そして20余年前に、母として息子の将来を考えたとき、
『違いを持つ子どもが萎縮せずに学べる環境』は、
日本の中にはほとんど見つかりませんでした。
だから私は、海外教育という可能性を選び取る決意をしました。
🇬🇧 なぜイギリス教育だったのか
特に私が注目したのは、言語環境としてのイギリス英語でした。
構音障害を持つ息子にとって、「複雑な音を聞き取れる言葉かどうか」は極めて重要だったのです。
- 日本語の周波数は約1,000Hz前後
- アメリカ英語は3,000Hz程度
- それに対し、イギリス英語は6,000〜12,000Hzの広い帯域を持っています
この「聞き取れる音の広さ」が、発音や模倣を必要とする言語習得の入口になると知ったとき、
私は迷わずイギリス英語を選ぶことにしました。
🧠 英語を“教える”ではなく、“届く言葉”に変えるために
ただ英語が話せるようになればいいとは思っていませんでした。
私が求めていたのは、
『発語に困難を抱える子どもでも、世界とつながれる言葉』を身につけられる環境でした。
Preen先生がKKLで提供しているKIDS Englishのように、ケンブリッジ式をベースに設計された英国式カリキュラムに出会ったとき、
「この内容であれば、構音障害の息子にもピッタリ!」
そう感じたのを覚えています。
🌈 海外教育=逃避ではなく、“希望に基づいた戦略”
私が海外教育を選んだのは、日本を否定したかったからではありません。
息子が自分を語り、誰かとつながって生きていく未来を信じたかったからです。
障害があるから無理ではなく、
発達がゆっくりだから諦めるのではなく、
「違いがあるからこそ、その子に合った言葉と学びの環境を探したい」と思った。
それが、私にとっての“海外教育”の意味でした。
🔍 確信
|子どもたちが自然に混ざり合うイギリスの教室を見たとき、私は“これだ”と思った |
実際にイギリス校に足を踏み入れて、私は驚きました。
障害のある子も、発達に特性のある子も、健常児も――
みんなが同じ教室で、同じプロジェクトに取り組み、同じ先生に導かれていたのです。
「これは特別な取り組みなんですか?」と聞いた私に、
先生はこう返しました。
「違いがあるのは当たり前です。
その子に合わせて“どう一緒に学ぶか”を考えるのが、教師の仕事ですから。」
🤝 混ざり合うことが“前提”の教育
日本では、障害のある子は“特別支援学級”に分けられ、
そのことを『配慮』だと思っていた節があります。
でもイギリスの学校では、『配慮』とは『隔離』ではなく、『共に学ぶための工夫』でした。
子どもたちは違いに驚くこともなく、誰が発語が苦手か、誰がサポートを受けているかなど気にしません。
それが「日常」だったのです。
🧑🏫 先生たちの“ロジカルで温かい対話”
イギリスの教師たちは、指導の場面でも会話のトーンが印象的でした。
ただ共感するのでも、頭ごなしに否定するのでもない。
冷静で敬意ある質問と、筋道だった導きで、子どもたちが自分の意見を安心して言える空気をつくっていました。
ある子が感情的になったとき、先生はこう尋ねました。
「いま、あなたが一番伝えたいのは“怒り”かな?“悔しさ”かな?」
「伝わるように話してみようか」
それは、ただ感情を受け止めるだけではなく、
「どう伝えたら相手に届くか」まで一緒に考える姿勢でした。
私はその姿を見て、
「これこそ、息子に必要な環境だ」
と確信しました。
✨ ただ英語を学ぶのではない。「言葉を使って、自分を大切にできる場所」を見つけた
私が求めていたのは、“世界に通用する英語力”ではありませんでした。
本当の願いは、
「どんな子も、自分のことを“伝えられる人間”になってほしい」
というものでした。
イギリス校でその可能性を目の当たりにしたとき、
これまで感じてきた痛みや迷いが、ひとつの線でつながった気がしました。
🌏 次男 Kojiからのメッセージ
いま世界は、国や文化の壁を越えて助け合う社会に変わりつつあります。
そんな時代に求められるのは、“どこでも通用する人間力”と“柔軟に適応できる力”です。
でも日本では、親が子どもを手元に置きたがる文化や、海外教育に踏み出せない風潮がまだまだ強いと感じます。
結果、日本は他のアジア諸国に比べて、世界基準の教育で大きく遅れを取っていると危機感を持っています。
だからこそ僕は、母の志に共感し、「海外教育ラボ」の一員として、
本気で海外を目指す生徒たちをサポートしたいと考えています。
英語を“試験のためのスキル”ではなく、『自分を語るための“母国語レベルの言語”』として身につけていけるように。
国際バカロレア(IB)のような資格取得はもちろん大切。
でもそれ以上に、
「自分の意見を自分の言葉で語れる人間」
を育てることが、これからの日本に必要だと思っています。
🧑🎓 兄・Sotaの背中が、証明してくれていること
先天性の構音障害を持って生まれた兄・Sotaも、
いまでは英語を“母語”として使いこなし、オーストラリア・シドニー大学を卒業。
現在はパース大学院に在学中です。
ランニングという特技を通じて、YouTubeでは1.3万人以上の登録者を持つ発信者にもなりました。
▶︎ SotaのYouTubeチャンネルはこちら
兄がまさに「自分をしっかり語れる人間」になったこと。
それこそが、母が僕たちに望んだ“本当の英語教育”の成果だと、僕は信じています。